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ルソン島における生と死 [平和]

久田栄著 戦争と私あとがき さいごに

の全文です。京都大学法学博士 久田栄正さんと3人でお会いした時直接先生からいただいた本です。平和の尊さを語り扉に 反戦平和 の文字を書いて下さいました。
今の時代にもぴったりの後書きです。

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 さいごに

 本手記は、私の戦争体験を語り伝えるということよりも、過去の戦争体験の愚を再び繰さないように少しでも役たてばと思って書いた。
 さいきんしきりに大臣達が、中学生の修学旅行のようにぞろぞろと靖国神社に参拝しているが、果して、そんな大臣達の行為で、戦争で死んでいった兵隊達はうかばれるだろうか。
軍隊は、戦争が最高潮のときは、軍隊全体が高く評価され、将校から二兵卒まで称讃され、その武勇をたたえられて、将軍は、貴族と勲章の数をふやし、兵士は「生命を鴻毛の軽き」においたというので、戦友から「思えば、今日の戦闘に朱にそまって、にっこりと笑って死んだ戦友が天皇陛下万才と残した声が忘られようか」(露営の歌)と歌われ、母親からは、「空をつくような大鳥居こんな立派なおやしろに神とまつられもったいなさよ母は泣けますうれしさにとびがたかの子うんだよでいまじゃ果報が身にあまる金璃勲章がみせたいばかりあいに来たぞや九段坂」(九段の母)と歌われ、息子も人間として生きて行く誇りを棄てて兵士として、死んで行くことを名誉として選んだ。そのため自ら生み育てた我が子の死を身にあまる果報と受けとる無情な母をつくりあげた。
 私達がルソン島に上陸した時は、戦争末期であり、米軍がルソンに上陸したときは、日本軍隊は、既に軍隊として体をなさず、戦力として用をなさなかった。作戦指導者の一人富永航空司令官は、ルソン島に部下を置去りにして逃げ出し、沈没から救助された兵隊は竹槍をもって歩哨にたち、また沈没で部隊本部を失った兵士は、はだしで海岸に放心したよう座っている。指揮官のない兵士、兵器を持たない兵士は身体を弾丸として切込んで行く。一戦ごとに退却を重ねていった。戦力としての機能をうしなった軍隊に国家はなお戦争の続行を命じていた。
 上官達は、自己の地位を利用して、部下をおき去りにしても、何とか生き延びようとしていた(私の大隊長)。戦うべき兵士は、戦意を喪って戦線を離脱し遊兵化していった。敵前逃亡の罪、敵前坑命罪も、兵士達の生きようとする前には何ら権威をもたなかった。こうして戦力でなくなった兵士に戦争を強いる国家から兵士達は離れていった。
 他方傷病兵達は、戦力としては役立たない荷厄介として、国家からどんどん見棄てられ、初めて戦わなくてよい人間として、生きる為の苦闘を始めねばならなかった。
 私の如く戦う任務のない主計や獣医は、敵上陸と同時にあらゆる物資の補給は途絶し、軍馬は、砲爆撃で皆無となり、無用の長物となって荷厄介視されて、部隊にくっついて死の恐怖におののきながら戦う兵士と同じ運命を背負って移動、退却をつづけた。
 私は戦場で幾百幾千の兵士達の死の姿を見た。忠勇無双の軍人としての死ではなく、国家から見はなされ、一人で生きて行こうとして力尺、きて死んでいった。もちろん勇敢な兵士もいた。しかしそれは例外に近かった。大部分の兵士は、国家から見放され、あるいは国家を見放していった兵達であって、彼らは、死に直面して、自分は国家のため、天皇のため死んで行くのだという意識などなかった。私は一度だけ、心にもないことを言ったことがある。それは手記にも書いたように無謀な大隊長の命令に対してのひらきなおりの言葉としてである。
 実際私が戦場で、見聞した限りでは「天皇陛下万才」とか「大日本帝国万才」などいって死んだ兵士は一人もいなかった。直撃弾にあたれば、それをいういとまもなく飛散してしまう。負傷して死んだ兵士は一晩中坤き通して死んでいった。病気や栄養失調で死んでいった兵士は、必ずといっていいぐらい「もうダメです」と人間として死んで行くことを誰れかに伝えて死んでいった。それに、マラリヤの高熱で発狂した兵隊だけが、人間としての本心をいった。彼らは敵機が飛来すると「停戦だ〃‥」=停戦だ〃‥」と戦場をかけ回るのだった。既に、この手記でも「高柳一等兵の死」の所で書いたように、彼は死を前にして、兵士としてではなく人間として「寿司が食べたい」=自分はもうだめです。停戦協定に間に合いません」と述べている。どれだけ、戦争が終って故国に帰って平和な生活を送りたかったか。
 大臣や戦没者の遺族会の人達は、戦場で死んでいったこれらの兵士連の気持ちをほんとにわかっているのだろうか。
 国家は、兵隊達を死に追い込んでおいて、死んだら「英霊だ」「英霊だ」とさわざたてて、国家の為めに殉じた英霊を国家で合杷するのは何が悪いかとひらきなおっている。
そのために大臣や遺族会を組織している人達は、憲法を侵してまで靖国神社国営法をつくろうとし、その下ごしらえとして、大臣だちがぞろぞろと大挙して靖国神社に参拝しているのである。
 しかし、兵隊達は、どんなに戦う兵士であることを忌みきらっていたか、兵士が人間であればあるはどそうであった。早く戦争が終って、故国に帰って平和に生活をおくりたいと念願していた。それが叶えられず無念にも死んでいったのである。その彼らを、いまだに戦った兵士として国家に殉じたとして合祀することは明らかに彼らの意に反する。いま彼らをほんとに慰めるのなら、一人の人間として死んでいったことを認めてやることであり、それが何よりの供養である。
 戦没者をいつまでも国家にしぼりつけ、それを何らかの政治目的に利用しようとすることは、死者に対する冒涼であり、まったく許せない。政府はいつまでも戦没者を国家にしぱりつけておかずに、尊い一人の人間の死として、その霊を家庭に速にかえしなさい。
 いまの憲法では、国を守れないから改正せよとか、国民は、国防に協力すべきだとか、愛国心が足りないとか、国民に説教する、まことに不遜な大臣がいる。この大臣達はほんとに自分のいまいっていることの意味がわかっているのだろうか。
 大臣は、国民が平和に生きて行けるように、どうしたら戦争をなくすことができるか、を考えていればよいので、戦争になったら国民はどうすべきかなど、国民を再び戦争の道具にするような戦争屋の代弁者的発言はやめてほしい。
 戦争は政府の外交の失敗なのであって、政府の失敗を、国民の国防協力心や、愛国心によびかけて国民に尻ぬぐいをさせようとする大臣は卑怯でありただちに退くべきである。                     (この「さいごに」は一九八一年九月記す)

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